闘病を経て学んだこと

こんにちは仲道です。
 
普段はカメラマンや
写真講師として
写真のことを教えたりしています。
 
私は2014年の4月から約1年間、
血液のがん(悪性リンパ腫)に
よって闘病生活を送りました。
 
闘病生活のなかで、
当時20歳の私は
 
「死」と向き合い
「生」について考えました。
 
そのことがきっかけで、
大まかに下記の
2つのことを掘り下げて
考えるようになりました。
 
・今までの自分
 
・何のために生きているのか
 
まず
「今までの自分」
についてですが、
これは「走馬灯のように…」
といった大げさなものとは少し違います。
 
「死」を具体的に
意識する体験を経て、
 
「自分が無くなってしまう」
 
という恐れから
「生」を強く意識するようになり、
 
自分の生き方について
よく考えるようになったのです。
 
しかし、
今までの自分について考えることは、
自分自身を否定する作業でした。
 
私は入院前、
他者から「優しい」という
評価を受けていました。
 
それを私は良しとしていましたが、
自分が心の弱い人間であった為に、
そう思われていたにすぎなかったのです。
 
何故そう言えるかというと、
自分の意見を主張するのが怖くて
他人の都合に従っていた、
 いわば 「都合のいい人」 だったからです。
 
他者からすれば
自分の意見を聞いてくれる
「優しい人」でした。
 
これに気がつくことで、
 
「他者からの評価を気にして行動を変えている自分」
 
の存在が浮き彫りになりました。
 
それは、
私にとって
とても衝撃的な出来事でした。
 
なぜなら当時、
「弱い自分」の存在を
私は認識していなかったからです。
 
小学生の頃から
サッカーをやっていた私は、
スポーツをやるうえで
とても負けず嫌いでした
そんな自分が弱い人間だとは、
到底考えられなかったのです。
 
 
その衝撃は同時に、
 「弱い自分」を認めた
という証拠でもありました。
 
この時私は、
「弱い自分を受け入れる勇気」という
「強さ」を初めて持てたのです。
 
この強さを得てからの成長は早く、
しっかりとした 自分の判断基準で
行動ができるようになり、
精神的な軸を育てることができました。
 
そのおかげで、
他者からの評価を気にして
行動を変えることもなくなりました。
 
今では、自分の意見を主張しつつ、
人間関係を円滑に進めることが
できるようになってきました。
 
 
そして、自分を受け入れる準備を
できた要因として、
 
「何のために生きているのか」
 
について考えた事も挙げられます。
これは今でも考え続けている事です。
 
人間は
 
「この世界でしたい事があるからこの世界に来ている」
 
と私は考えています。
 
自分の行動は、
全て自分で選んだうえでの行動ですよね。
 
たとえ人から言われた行動を取ったとしても、
その行動を選んだのもまた「自分」です。
 
そこで「自分で考えなかった」
という事実はあっても、
全ての自分の行動は
全て自分で選んだ結果です。
 
だとすれば、
自分がこの世界に来た事も、
自分が選んでいるはずなのです。
 
 
誰がこの世界の、この国の、
この仲道雄大という
個体で産まれてくることを
選んでくれたというのでしょう。
 
私は周りから提示された選択肢を
選んで生きていた弱い人間です。
 
ですが、
その選択肢を選んでいたのもまた、自分でした。
 
 
私は高校卒業後、
専門学校に通っていたのですが、
これは社会の風潮でよくある
「とりあえず進学しなければ」という
「社会の想念」に従っての選択です。
 
あまり乗り気じゃなかった
専門学校生活でしたが、
それに拍車をかけるように、
同級生との人間関係が
うまくいきませんでした。
 
「学校を辞めたい」
 
私の心の声がそう叫びましたが、
 私は無視しました。
 
そこでも私は
「専門学校中退なんて…とりあえず卒業しなきゃ」という
「社会の想念」に従い、
「本当の自分」の意思に
従わなかったのです。
 
これは親に
「卒業だけはしてほしい」
と言われた事でもありますが、
私はそんな周りの声に従って、
自分の心を殺してしまったのです。
 
 
 
その時、私の身体に異変が生じました。
咳が止まらなかったのです。
 
内科、外科、色んな病院に行きましたが、
原因はわからず症状は1ヶ月以上続きました。
 
マイコプラズマ肺炎だ
などと言われたりもしましたが、
薬を飲んでも治りませんでした。
 
 
そんな中、
行っていない病院がありました。
それは「精神科」「心療内科」です。
 
当時友人に精神科を
勧められてはいましたが、
そういった所は
心の弱い人が行く所で、
私は大丈夫だと考えていたのです。
 
この時から、
私の負けず嫌いが
裏目に出ていました。
しかしあまりにも 症状が治らなかったので、
私はついに心療内科に行くことにしました。
 
そこで診断を受けたのが、
「心身症」でした。
 
これは精神的な苦痛が原因で
体に支障をきたす病です。
つまり、
「心が原因」だと言われたのです。
 
それに気が付くのが
早かったのか遅かったのか
はわかりませんが、
身体の症状は
少しずつ治っていきました。
 
 
しかし、私はまだその
 
「心の原因」
 
を掴めてはいなかったのです。
 
 
 
 
そして心身症と診断された4ヶ月後、
突如として首元に大きな腫瘍ができました。
 
その日はバイトだったのですが、
職場で周りの人
もさすがにおかしいと感じ、
「病院に行け」
と言われて病院に直行しました。
 
そして、診断結果が出ました。
その日、私は誕生日でした。
 
ガンを宣告されました。
とんだ誕生日プレゼントです。
 
「死神からの誕生日プレゼントか」
 
なんてのんきに考え、
絶望する実感すら湧きませんでした。
 
そんなのんきな自分とは裏腹に、
現実は厳しく向かって来ました。
強度な抗がん剤治療が始まり、
副作用で
毎日40度近い高熱にうなされ、
全身の関節が千切れるほどの痛みが襲いました。
 
薬が身体に合わず、
激痛により1ヶ月間
ずっと泣き続けるような時期もありました。
 
その時に、私は人生で初めて
 
「死ぬかもしれない」
 
と強く感じました。
 
死を直感し、
自分を失う恐怖に襲われた時になってようやく、
私は「今までの自分」を
客観的に見る事ができたのです。
 
弱い自分を見る恐れよりも、
 
死の恐怖の方が
よっぽど恐ろしいからでしょうか。
 
より強い恐怖を感じた事で、
弱い自分を受け入れる
恐れがなくなったのです。
 
この時にようやく私は
「弱い自分」を受け入れ、
「本当の自分」の声を聞く事ができたのです。
 
 
本当に自分のしたいことと向き合わず、
社会の想念に従って進学を選んだのも、
自分の心がやめたいと言っているのに、
周りの声に従って学校に通い続けたのも,
 
全ては自分の弱さでした。
 
私は、本当の自分がしたい事を
するのはワガママだと、
学校をやめて逃げる事こそが、
 弱い人間の行動なのだと、
考えていました。
 
しかし、違ったのです。
 
自分の意見を主張せず、
周りの意見に従うのは
周りとぶつからないで済むので楽なのです。
 
それこそが、弱さでした。
そうして自分の心を押し潰し、
したくない事を選択して
、結果私は病気になりました。
 
病気になる事は
一見不幸に見えますが、
私は病気になって
良かったと考えています。
 
なぜなら、
病気にならないで
専門学校を続けていれば、
きっと私は辛い事をし続ける
不幸せな人生を送っていた事でしょう。
 
病気は、
私の進むべき道が
違う事を教えてくれました。
ゆえに私はこう考えます。
 
病気になる事が不幸ではなく、
不幸だから病気になるのだと。
 
病気自体は不幸ではありません。
 
変な言い方になりますが、
闘病生活中、
私は専門学校にいた時よりも
充実感を感じていました。
 
病気になればよく
「可哀想」などと言われます。
 
ですが、病気だから不幸だなどと、
どうして他人が勝手に決められるのでしょう。
 
自分が不幸かどうかを決めるのは、
自分の意識でしかありません。
 
他人が決められるものではないでしょう。
 
それと同じように、
自分の選択を他人が
決められるものではありません。
 
私は周りの目を気にして行動し、
結果病気になりました。
 
しかし、
その病気になった結果に対して、
一体誰が責任を取ってくれるというのでしょうか?
 
誰にだって責任はありません。
私に「専門学校をやめないでほしい」
と言った 親や周囲にだって、
責任はありません。
 
親の立場からすれば、
子どもには専門学校くらい
卒業して欲しいと考えるでしょう。
 
結局専門学校を
やめない選択を取ったのは「自分」です。
 
自分の行動の責任は
自分にしかありません。
 
だとすれば、
周りの目を気にして
「本当の自分」がしたい行動を
選択しない理由は何でしょう。
 
周りの目が怖いでしょうか?
 
周りの評価が気になりますか?
 
それを気にして取った行動に
何の意味があるのでしょう。
 
ただただ、
自分を苦痛へと追い込むだけです。
 
それに気付いたからこそ、
私は周りの目を気にしなくなりました。
 
それから私は、
趣味であった
カメラの仕事をしています。
 
今ではカメラマンの仕事だけで、
食べていける程度に
稼げるようになりました。
 
自分の好きな事だけをして、
今は生きています。
それが、とても楽しいのです。

 

なぜ、したくもない事をしているのでしょう?
 
それは「しなければならない」事ですか?
 
なぜ「しなければならない」のでしょう?
 
その意思は、本当にあなたの意思ですか?
 
その意思に従って、
あなたに一体何の得があるのでしょう。
 
一体誰のために
「本当の自分」が「したい」事を
我慢しているのでしょう。
 
自分がしたい事をして良いのです、
「我がまま」になっていいのです。
 
「我がまま」とは、
「自分であるがまま」と書きます。
 
考えてみてください。
それの何が悪いのでしょう?
 
自分のしたい事だけをする人生を、
一体誰が否定できると言うのでしょうか。
 
確かに、
自分勝手で他人に迷惑をかけるのは、
誰にとっても
良くない事かもしれません。
 
ですが、それと
「我がまま」に生きる事は別問題です。
 
自分が本当に「したい」事を
しない理由を、
あなたは探していませんか?
 
それを「しない」自分が正しいと、
思い込もうとしていませんか?
 
私はそうでした。
自由に生きたくても
「働かなければならないから」と、
「その時の自分」に出来そうな事を
仕事にしようとしていました。
 
学校を辞めたくても
「学校は卒業しなければならないから」と、
自分の心の声を無視しました。
 
しかし、自由になりたくても、
簡単にその選択肢を選べない事はよくわかります。
 
私もそうだったからです。
その選択肢を考えることすら
していなかったかもしれません。
 
ですが、自分を縛る理由はありません。
そして、
自分を縛っているものから解放された時、
自分を知ることができます。
 
その時になってようやく、
「本当の自分」が「したい」ことを
知ることができたのです。
 
あなたの「したい」ことは
外にはありません。
 
いくら外にある情報から
自分のしたい事を探しても、
それを見つけることはできません。
 
自分の「したい」ことは
自分の内側にあります。
 
それはいつだって
自分の内側に存在しているのです。
 
ただ、外の世界ばかりを気にして、
自分の内側が
見えなくなっているだけです。
 
あなたはきっと、
何か「したい」事があってこの世界に来ました。
 
そうでないと言うのなら、
あなたがここに来る事を
一体誰が決めたと言うのでしょう。
 
誰にも責任はありません。
 
あなたの行動の選択は
全てあなたが決めた事です。
 
だとすれば、
この世界に来る事もきっと、
あなた以外には決められないのです。
 
あなたの内側に耳を傾けてみてください。
 
自分の声を無視しないでください。
 
無視されることは、辛い事です。
 
自分の内側は
自分でしか認識できないのに、
その自分が無視してしまったら、
一体誰が自分の内側を、
「本当の自分」を見てくれると言うのでしょうか。
 
私は、自分の内側を
より多くの人に見て欲しくて、
カメラマンなどの活動をしています。
 
あなたが本当に「したい」ことは何ですか?
私に聞かせてください。
 
それが私の「したい」事の一つです。

4月中旬より東京に拠点を移します。

 

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